2007.07/04<Wed>
二日続いて朝刊の一面だった、
落とされた原爆は、広島にウラン濃縮型の『リトル・ボーイ』。長崎にはプルトニウム型の『ファットマン』。
落とした機体はB-29スーパーフォートレス。それぞれの投下時に三機ずつ参加している。原爆搭載機と写真撮影機、それと科学観測機だ。
軍用機には制式名称の他に愛称がつけられる場合がある。それぞれ原子爆弾に名前がついているのと同じようなものだ。広島投下時の原爆搭載機は『エノラ・ゲイ』。長崎時には『ボックス・カー』というニックネームがそれぞれのB-29にはつけられていた。
チャールズ・スウィーニーという人物がいる。
彼は広島投下時に『エノラ・ゲイ』に同伴した観測機の機長を、長崎投下時に『ボックス・カー』の機長を務めた人物だ。つまり、二度の原爆投下の瞬間に立ち会ったパイロットである。
彼は『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』という著書も残しており、その中で次のように語っている。Wikipediaで引用があったのでそのまま借り受けた。
私は瓦礫の中に立ちつくし、両方の陣営でいかに多くの人が死んだことか、その場所だけでなく戦争が行われたすべての恐ろしい場所において、どれほどの人間が命を奪われたかを考えて、悲しみにおそわれた。
(中略)
当時私は戦争の残虐性について、苦しんだのが自国の人間であろうと他国の人間であろうと決して誇りや快感を感じたわけではなく、それは今でも変わらない。すべての命はかけがえのないものであるからだ。だが私は、自分が立っていたその都市を爆撃したことについて、後悔も罪悪感も感じなかった。破壊された周囲の後継が物語っていた苦しみは、日本の軍国主義文化の残虐さと、「下等な」民族を征服することを光栄とし日本がアジアを支配する運命にあると考えていた伝統によって、もたらされたものだからだ。後悔と罪悪感を抱くのは日本の国家のはずであり、偉大なる野望を達成するために国民の犠牲を惜しまなかった軍の司令官たちこそが、とがめられるべきであった。
(『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』284頁)
読んでもらえれば解るが、彼は原爆投下を肯定している。命が失われた結果に悲しみつつも、その最後の引き金を引く命令を実行したことを後悔していない。それが、崩壊した長崎を目にしての彼の感想だったそうである。
広島・長崎市民の被害という多大なマイナス要素を含めてもなお、原爆の効果はプラスに働いた。彼は最期までそう信じながら、2004年にその生涯を終えた。
この価値観は原爆に携わったパイロットに共通するところがある。『エノラ・ゲイ』の乗組員だったセオドア・ヴァン・カークは、つい先月の20日、NYで行われた講演会にて、原爆被害者の笹森恵子さん(75)と対談している。
笹森さんが「罪のない人の上に原爆を落とすことが戦争を早く終わらせる方策ではない。二度と起こしてはならない」と説くのに対し、ヴァン・カーク氏は「原爆投下は戦争を終結させた。よって沢山の人々の命を救ったのだ。この考えは当時も今も変わらない」と、相容れない主張をする。
カーク氏の言う「原爆が救った命」というのは、「中国人やカンボジアなど日本軍が侵略し虐殺していた人々」のことらしい。ここまで限定的にしてしまったのは個人的に非常に飲み込みがたいが、結果的に死なずに済んだ人命(人種・所属を特定せず)があるのは間違いがない。
だが反面、その不確定な未来予想のために何十万人もの市民が歴史上最悪の痛苦を被ったのもまた事実。
でもそれを言うと、「リメンバー、パールハーバー」となる。
どちらの意見も汲み取ろうとすると、永遠に平行線だ
日本人はその被害の凄まじさのため、原爆投下を戦争とは別枠の事象として捉えがちだが、おそらくアメリカ人にとっては「戦争の一端」に過ぎないのではないだろうか。戦争で「殺し・殺され」は当然のこと。だから原爆の被害について切々と説かれても、あれは戦争だったのだから言われる筋合いはない、ということだと思う。
だから原爆投下に関わったパイロットらに後悔はなく、ただ人命に対する尊重だけがある。(ただカーク氏の場合、目の前の被害者に対する精神的配慮が欠けていたとは思うが)
実際のところ、原爆の投下には、戦後の局面に対して先手を取りたいアメリカ政府の思惑が多分に絡んでいるのは周知のことだ。絡んでいるどころか、それが全てだと言ってしまっても差し支えないかもしれない。
だから結局、被害者とパイロットの視点だけで原爆投下を語りきることはできないのだ。確かな一側面を伝えることはできても、『なぜ原爆は投下されたのか』や『核使用を二度と繰り返さないためにどうすべきか』といった内容まで突っ込むことができない。
(勿論、原爆投下の被害は日本人として必ず記憶に留めておくべきことだというのは言うまでもない)
「悪いのはトルーマンだ」なんて片付けることはできないが――結局は市民も軍人も、国家の前では路傍の石に過ぎないようだ。
「しょうがない」。あの発言にはどれだけの意味があったのか。
落とした機体はB-29スーパーフォートレス。それぞれの投下時に三機ずつ参加している。原爆搭載機と写真撮影機、それと科学観測機だ。
軍用機には制式名称の他に愛称がつけられる場合がある。それぞれ原子爆弾に名前がついているのと同じようなものだ。広島投下時の原爆搭載機は『エノラ・ゲイ』。長崎時には『ボックス・カー』というニックネームがそれぞれのB-29にはつけられていた。
チャールズ・スウィーニーという人物がいる。
彼は広島投下時に『エノラ・ゲイ』に同伴した観測機の機長を、長崎投下時に『ボックス・カー』の機長を務めた人物だ。つまり、二度の原爆投下の瞬間に立ち会ったパイロットである。
彼は『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』という著書も残しており、その中で次のように語っている。Wikipediaで引用があったのでそのまま借り受けた。
私は瓦礫の中に立ちつくし、両方の陣営でいかに多くの人が死んだことか、その場所だけでなく戦争が行われたすべての恐ろしい場所において、どれほどの人間が命を奪われたかを考えて、悲しみにおそわれた。
(中略)
当時私は戦争の残虐性について、苦しんだのが自国の人間であろうと他国の人間であろうと決して誇りや快感を感じたわけではなく、それは今でも変わらない。すべての命はかけがえのないものであるからだ。だが私は、自分が立っていたその都市を爆撃したことについて、後悔も罪悪感も感じなかった。破壊された周囲の後継が物語っていた苦しみは、日本の軍国主義文化の残虐さと、「下等な」民族を征服することを光栄とし日本がアジアを支配する運命にあると考えていた伝統によって、もたらされたものだからだ。後悔と罪悪感を抱くのは日本の国家のはずであり、偉大なる野望を達成するために国民の犠牲を惜しまなかった軍の司令官たちこそが、とがめられるべきであった。
(『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』284頁)
読んでもらえれば解るが、彼は原爆投下を肯定している。命が失われた結果に悲しみつつも、その最後の引き金を引く命令を実行したことを後悔していない。それが、崩壊した長崎を目にしての彼の感想だったそうである。
広島・長崎市民の被害という多大なマイナス要素を含めてもなお、原爆の効果はプラスに働いた。彼は最期までそう信じながら、2004年にその生涯を終えた。
この価値観は原爆に携わったパイロットに共通するところがある。『エノラ・ゲイ』の乗組員だったセオドア・ヴァン・カークは、つい先月の20日、NYで行われた講演会にて、原爆被害者の笹森恵子さん(75)と対談している。
笹森さんが「罪のない人の上に原爆を落とすことが戦争を早く終わらせる方策ではない。二度と起こしてはならない」と説くのに対し、ヴァン・カーク氏は「原爆投下は戦争を終結させた。よって沢山の人々の命を救ったのだ。この考えは当時も今も変わらない」と、相容れない主張をする。
カーク氏の言う「原爆が救った命」というのは、「中国人やカンボジアなど日本軍が侵略し虐殺していた人々」のことらしい。ここまで限定的にしてしまったのは個人的に非常に飲み込みがたいが、結果的に死なずに済んだ人命(人種・所属を特定せず)があるのは間違いがない。
だが反面、その不確定な未来予想のために何十万人もの市民が歴史上最悪の痛苦を被ったのもまた事実。
でもそれを言うと、「リメンバー、パールハーバー」となる。
どちらの意見も汲み取ろうとすると、永遠に平行線だ
日本人はその被害の凄まじさのため、原爆投下を戦争とは別枠の事象として捉えがちだが、おそらくアメリカ人にとっては「戦争の一端」に過ぎないのではないだろうか。戦争で「殺し・殺され」は当然のこと。だから原爆の被害について切々と説かれても、あれは戦争だったのだから言われる筋合いはない、ということだと思う。
だから原爆投下に関わったパイロットらに後悔はなく、ただ人命に対する尊重だけがある。(ただカーク氏の場合、目の前の被害者に対する精神的配慮が欠けていたとは思うが)
実際のところ、原爆の投下には、戦後の局面に対して先手を取りたいアメリカ政府の思惑が多分に絡んでいるのは周知のことだ。絡んでいるどころか、それが全てだと言ってしまっても差し支えないかもしれない。
だから結局、被害者とパイロットの視点だけで原爆投下を語りきることはできないのだ。確かな一側面を伝えることはできても、『なぜ原爆は投下されたのか』や『核使用を二度と繰り返さないためにどうすべきか』といった内容まで突っ込むことができない。
(勿論、原爆投下の被害は日本人として必ず記憶に留めておくべきことだというのは言うまでもない)
「悪いのはトルーマンだ」なんて片付けることはできないが――結局は市民も軍人も、国家の前では路傍の石に過ぎないようだ。
「しょうがない」。あの発言にはどれだけの意味があったのか。
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